ああ君のいいように。」
「そして光子さんの病気はどうなんだい。」
「少しはいいようだが……。」
「それはいい。光子さんだけは是非とも助けなけりゃいけない。」
「ああ。」
その時壮助の心のうちに急に或る悲壮な感激が湧いて来た。
「お蔭で僕のやったことが意義あるものになるんだ。僕は自分に他人を助ける力は無かったんだ。僕は自分の力を知らなかった。そして自ら択んだ重荷の下に倒れようとした。もし倒れたら、凡ては罪悪になったろう。僕は光子の家の家計を助くるを善と信じていた。そして善に対する責任を考えなかったんだ。」
「そうだ、それは恐ろしい言葉だ。然し、君のうちにはそうしなければならないものがあったに違いない。そしてよし倒れても、そうした方がよかったかも知れない。」
「ああそれは……。」
そして「よかったのだ」と云おうとして壮助の言葉は急に何物かから遮られた。ぶるぶると身内が震えるのを感じた。大きな力が、涙ぐまるるようなものが、胸の中を塞いだ。
二人《ふたり》は暫く黙って対坐していた。障子を透して麗かな外光が感じられるようだった。川部はその方を見やったが、急に立ち上った。
「では兎に角安心し給え。」
「もう帰るのか。」
「ああ一寸用があるから。ただ心配してるといけないと思って寄ってみたんだから。」
「それでは、どうか宜しく頼む。君のために助かったんだ。……そして一年ばかりのうちにはどうにかなるだろうから。」
「いやそんなことは気にかけないがいい。……然し、もし出来たら返してくれ、実は書物が出来る時一緒に国の母に送ろうと思っていた金なんだから。」
川部は妙に悲しそうに眼を伏せた。
「済まないね。」
「なに、いいんだ。お互のことだから。」
一人《ひとり》になると壮助はじっと机にもたれたまま涙ぐんだ。ほっと自分の前に途が開けたような気がすると共に、それが、凡ての、運命の動きが、何か大変なことになったような気がした。そしてその重い責の下から、溺れる者が水面に浮び出そうとするようにして、光子のことを思った時、彼の眼からは涙がこぼれた。
「光子、光子、ただお前に生があらば、そして自分に、我等に生があらば、凡てはよくなるであろう!」
眼を挙げると、障子には淡い日がさしていた。その日影を見守っていると、遠い野が心に見えて来た。……郊外に家《うち》を持とう、光子の病気のために、生命の
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