あげようと云ったんだよ。そして医者が帰る時一緒に外を歩いて、種々なことを尋ねて来たよ。病気も大変いい方だと医者は云っていたけれど、大変今衰弱してるでしょう。だから早く滋養分を取って元気をつけなければいけないんだよ。今が大切な時なんだからね。」
 光子は別に壮助の言葉をきいているようでもなかった。そして彼が云い終るとまた話を初めに戻した。
「誰も私に何にも知らしてくれないのよ。お父さんは何にも仰言《おっしゃ》らないし、お母さんはあの通り何にも分らないんでしょう。それにお医者様はいつもいいいいと云ったきりで帰ってゆかれるのよ。看護婦さんもただ私にお薬や牛乳を飲ませたり種々な話をするきりで、大事なことは何にも云ってくれないんですもの。私ききたいことが、大事なことが沢山あってよ。それに誰も何にも教えてくれないんですもの。」
「それはね、光ちゃんがききたいようなことは誰にだって分るものじゃないんだよ。自分にだってはっきり何がききたいか分らないんでしょう。けれどね、病気がよくなるとみんなはっきり分って来《く》ることなんだよ。だから、ただじっとよくなることばかり考えているといいよ……。私が知ってることは何でも教えてあげるからね。今までだって何にも隠さなかったでしょう。だからききたいことがあったら何でも私にそう仰言《おっしゃ》い、ね。一《ひと》つのことを種々な人から聞くのはいけないよ。私が知ってることは何でも教えてあげますからね。」
「ええ。」と光子は軽く首肯《うなず》いた。
「隙のある限り度々来てあげますからね。」
「ええ来て頂戴な。……でも済みませんわね。」
 光子は頭をぐたりと枕の上につけて、天井の隅を見つめていた。長く組んだ髪の毛が枕から畳の上に落ちていた。壮助はそれをそっと枕の上に程よく束ねてやった。
「私がお前を愛しているから……。」と壮助は心のうちで云った。――それをはっきり言葉にきいたら、彼女は恐らく喫驚《びっくり》して泣くだろう。そしてまた晴れやかに微笑むだろう。もう凡てがはっきりしたというような眼付をして壮助を見るだろう。
 然しそれは恐ろしいことに違いない。
 壮助は光子の顔から眼を外《そ》らして、驚いたように室《へや》の中を見廻した。何という静かなそして貧しい室だろう。暮れなやんだ明るみが窓の障子に映って、室の中にはいつしかぼんやり電燈がついていた。
 壮助
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