《うる》んだ眼が覗いていた。
「ではどうにか助かるかも知れませんね。」
「え?」
壮助はそう問い返したが、そのままあわてたように眼を外《そ》らした。何時のまにか彼等の心のうちに根を張っていた光子の死の予感が、表《あら》わに姿を示した。「どうかして助けなければ……。」そう思う心の奥に何時のまにか死の予感が、死の予期が、入《はい》り込んでいた。焦慮や諦めや希望やが其処に戦われた。
「兎に角これからが大切です。」
「そう……。」
羽島さんは手を挙げて、心持ち禿げ上った顔を撫でた。
何を悲しみ苦しむことがあろう!
「大丈夫です。」
壮助はそういう言葉を残して病室の方へ去った。
光子の側《そば》には看護婦が演芸画報を披いて見ていた。光子の視線はその姿を掠めてじっと壮助の顔の上に据えられた。
病室の淡い薬の香の籠った温気《うんき》が、壮助の心を儚《はかな》いもののうちに誘《さそ》い込んでいった。彼は苦しくなった。
「お湯に行って来《こ》られませんか、私がついていますから。」
「左様ですか。」と答えて看護婦は暫く考えていたが、「では一寸行って参りましょう。」
看護婦が出て行った後、病室は静かに澱んできた。勝手許で用をしている小母《おば》さんの物音が間を置いてははっきり聞えるようだった。
天井を見ていた光子の眼がまたじっと壮助の方に向けられた。病に頬の肉が落ちてからその眼は平素よりも大きくなっていた、そしてその清く澄んだ黒目の輝きが露《あら》わになっていた。
「ねえ津川さん!」
壮助は自分の名を呼ばれて、畳の上に落していた眼をふと挙げた。
「私これでよくなるんでしょうか。」
「そんなことを考えるからいけないんだよ。よくなることばかり考えなけりゃいけないよ。医者も大変いいと云っていたから。」
光子は一寸|黙《だま》っていた。
「ね、私に教えて下さらない?」
「何を?」
「先刻、お父さんと何を話していらしたの。」
壮助はじっと光子の眼を見返した。その眼には物を詰問《きつもん》するような輝きがあったが、壮助の視線に逢うとすぐに深い悲しみのうちに融《と》け込んでいった。
「あなたまで私に隠そうとなさるんですもの。」
「いえ何も隠しはしないよ。いつだって何にも隠したことはないでしょう。先刻《さっき》はね、お父さんが大変心配していらしたから、私が医者に詳《くわ》しく聞いて
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