い。其他いろいろ、性格の輪廓なり半面なりに出逢ったが、今月号の諸雑誌に現われた作品全体について云えば、むしろ性格の過少が目についた。なお云えば、マイナスの性格の過多が目についた。
 マイナスの性格というのは、プラスの性格に対する言葉である。はっきり極端に云えば、労働者よりも労働者らしくない労働者、会社員よりも会社員らしくない会社員、狂人よりも狂人らしくない狂人で、要するに誰でもよい人物なのである。茲で典型と類型とが問題になりそうだが、典型とはある種の人々にあてはめ得る個性であり、類型とは個性を失った通性であるという、普通の解釈に従っておいて差支えない。その典型は固より、類型さえも甚だ稀薄な、マイナスの性格が如何に多いことか。
 作者は必ずしも、性格を描かなくてもよろしい。人物性格をぬきにした作品にも、他の存在の理由はある。けれども、マイナスの性格にばかり数多く出逢う時、所謂文学の貧困を歎かずにはいられない。
 例えば、藤沢桓夫氏の「新らしい夜」を読んで、一種の淋しさを感ずる。左翼運動に身を投じてる伸吉という青年と、その運動にはいってゆく規子というブールジョア娘とのことが、そしてその恋愛
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