端に云えば、文学のなかには、労働者よりももっと労働者らしい労働者、会社員よりももっと会社員らしい会社員、狂人よりももっと狂人らしい狂人……などが現われてきても、一向に差支えはない、ただそれが生命のないロボットでさえなければ。
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作品を読んでゆくうちに、種々の人物性格に出逢うほど嬉しいことはない。淋しい旅行中に、心惹かるる人物に出逢ったようなものである。何かしら考えさせられ、ひいては、人間生活の事、社会の事、人類のことまで考えさせられる。人の心に与えるそういう動力は、作品の存在理由の最も大切な一つである。
定評ある名作のことは云うまい。手近な雑誌をめくりながら、私は幾つかの性格を瞥見した。例えば、須井一氏の「労働者源三」のなかの源三、那須辰造氏の「鼠」のなかの犀太郎、などはそれである。源三が余りに呑気な闘士であろうと、犀太郎が余りにひねくれた少年であろうと、そんなことは目障りにならない。目障りにならないどころか、そのために却って性格の重みがまして、どこかその辺にいそうな人間のような気を起させる。これが一歩誤れば、傀儡となり拵え物となりそうだが、踏み外していないところが豪
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