達すると、清澄な三人称的批判にぬけ出すことがある。それが急転直下、間髪をいれない変化なので、驚異に価する。そして彼女等の感情の高調時に於ける、三人称的批判と一人称的我執との交錯は、芸術作家にとっては他山の石となり得るものを持っている。芸術家には女性的分子が多いからというのではない。女性に於ける感情の高調は、男子に於ては心意の燃焼に相応する。心意の燃焼のうちに、創作の一つの秘鑰がある。この時、清澄なる三人称的批判を取失わない者こそ、傑れた芸術家であろう。
      *
 正しい批判は、物を曲げて見ることはない。曲ったものを真直に見ないだけのことである。一つの人物性格を捉える時、それに附随する事実の歪曲を認識するだけのことである。
 これに関連して、芸術的構成ということが問題となってくる。
 ポール・ヴァレリーは、詩作の筆をたって二十年間、数学殊に幾何学を研究した。それから珠玉のような名篇を書いた。彼は幾何学から芸術的構成を学んだのである。芸術的構成は、文学の形式などという手前のものではなく、もっと奥の方のものである。奥という言葉が悪ければ、もっと本質的なものである。言葉の重量、理知の明
前へ 次へ
全17ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング