っては、事件や場面にのみ局限されて、人間の性格を視野の外に逸するのは、蓋し当然の帰結であろう。
「党」の趣旨を絶対指導の地位に置き、それによって万事を統制し、人間多様の欲望や夢想や要求を認めず、思想及び行動の自由を拒否する、そういう強権主義は、文学の上にも重い軛を投げかける。なぜなら、一つの思想しか認めず、一つの欲望しか認めず、随って一つの生活しか認めず、随って一つの性格しか認めないところに、文学の自由な発展があり得よう筈はないから。かくて文学は、その内部精神に於ては、ただ一色に塗りつぶされる。一色に塗りつぶされた文学は、如何にリアリズムの途を辿ろうとも、事件と場面のリアリズム以外に出ることは出来ない。そこでは、凡ての作品が同一の制約と同一の目的意識――作意――を以て書かれる。そして常に同一の作意を以て書かれる時、反覆を避けんがためには、事件や場面の変化にたよるより外に途はない。いつの時代にあっても、何等かの意味の強権主義の掌中にある文学は、みな同じ運命にあった。
 文学をして真に生長させ、文学としての務を果させるには、「党」的強権主義の桎梏かち離脱させなければいけない。人間多様の欲望
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