や夢想や要求を認め、随って多様の生活を認め、随って多様の性格を認めなければいけない。そして初めて文学上のリアリズムは、事件や場面ばかりでなく、人間の性格をも対象となし得るだろう。
 かくして初めて、文学の中に各種の性格が生き上る。或る作品を読んで、そこに一人の人間を発見する時、また、一人の人間に出逢って、そこに或る作中の人物を見出す時、吾々は深い喜びを感ずる。そのタイプが新しいものである時に、吾々は生き甲斐を感ずる。そのタイプから出発して、文化を論じ、現代の社会と未来の社会とを論ずることが出来る。そういうタイプの一つの出現は、千百の宣伝よりも、より多く社会の進化を促進させる。
 日本の新陣営の作者たちの作品に、どれだけの性格が、性格の横顔が、描き出されているか、不敏にして私は知らない。そして試みに只今手許にある雑誌を披いてみる。――藤沢桓夫氏の「少年」のなかの昌平はどうであるか。社会運動に憧れて、小杉次郎を訪れたり岡崎先生の前で興奮したりする彼は、文学に憧憬してる少年が、先輩の有名な文学者に敬慕したり心酔したりするのと、どれだけ異っているだろうか。少年時代にあっては、両者は性格的に同一
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