に累積する迫害と身内に燃ゆる火、現在の闇黒と未来の曙光、そういうものの持つ一種ヒロイックな魅力、被搾取階級の惨澹たる生活、それに対する同感と愛、それらは確に人を惹きつける或物を持っている。けれども、単に惹きつけることは、味方の陣営に投ぜさせることではない。大衆は、一人の大杉栄を知ることによって、或は一人の××××を知ることによって、はっきりと敵味方に別れる。そしてこの截然たる敵味方の区別が、実は最も大切なのである。そこから、社会は本当に動き出す。
文学のなかに、何故、一人の生きた大杉栄が現われてこないのか。或は一人の生きた××××が現われてこないのか。それを全幅的に現わすには、非凡の才能が必要であるかも知れない。それならば、せめて部分的に、横顔だけでもよい。
事件や場面だけでなく性格をも描きたいという志望が、作者たちに欠乏しているわけではあるまい。がその志望の実現を阻む障害が、手近なところにあるのではあるまいか。
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文学が余りに観念的に単調になるのを救わんがために、新しくリアリズムが説かれた。それは至当だ。然しこのリアリズムは、強権主義に煩いされた「党」の陣営内にあ
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