郎氏の如きもその一人である。回顧と感傷とだけが氏の本領ではあるまい。新陣営に於ける新性格の発生が必然に将来させる、旧陣営に於ける新性格を探求して、「別れの言葉」の一片でも聞かせてもらいたい。但し、私は氏の近作に接していないから確言は出来ない。それならば、長与善郎氏はどうだろう。文学によりもより多く生活に関心を持っている氏だ。「重盛の悩み」から十歩も二十歩もふみ出してもらいたいものである。「この人を見よ」には、別れの言葉以上の微光があった。
*
文学が何等かの進展をなさんとする場合には、殊に、新たな性格が作品のなかに要求される。そしてその要求が満された時に初めて、文学は進展の一段階を上る。
文学の進展への動力となるような作家は、何等かの意味で、新しい性格を探求し描出する。
バルザックの豪さは、恋の囁き以外に金銭の響きを聞かせたことよりも、より多く、ユーロー男爵やゴリオ老人の如き人物を描出したところにある。フローベルの豪さは、その厳正冷徹な創作態度よりも、より多く、ボヴァリー夫人の如き人物を描出したところにある。イプセンに於けるノラ然り。ツルゲネーフに於けるバザロフ然り。
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