み込む。ふみ込まなければならないのである。文学者の視野に於ては、社会的変革ということは、生活様式や社会組織の変化などよりも、新しい人物性格の発生を意味する。
 日本の社会が、何等かの変革期にさしかかってるかどうか、私は知らない、が少くとも、常に推移していることは確かだ。そして文学も、漸次新たな方向を取りつつあることは確かだ。随って、新しい人物性格が描かれて然るべきである。否、描かれなければならないのである。
 実際、吾々は日露戦争頃に見られなかったような性格を、現在周囲に多く見出す。新陣営と旧陣営とを問わず、新思想界と旧思想界とを問わず、左翼と右翼とを問わず、新しい性格が出来つつある。少しく人間性に注意を払う眼にはそれが明かに映る筈だ。
 これは単なる心理的現象ではない。性格的現象である。新たな心理文学ということは、社会的に見ても、文学的に見ても、大して意味をなさない。重みを持つのは、新たな性格文学である。
 新しい性格を探求して「別れの言葉」を云うべき作者が、日本にもあるべき筈だ。そしてそのために、奮発してほしい作者があるべき筈だ。例えば、といって引合に出すのは失礼ながら、久保田万太
前へ 次へ
全8ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング