とが催されていました。神輿がかつぎ出され、神楽と手踊と歌謡と手品とがごっちゃに行われ、後ればせの盆踊まで始められました。しかもそれが丁度、政府の方からの一般物価統制の強化の時期で、商店街復興の先駆をなす屋台店や露店が、多くは屏息してる時のことでした。
その夜、仁木はちと腹の虫の居所がわるかったようでした。会社で、或る種の在庫製品のことについて、主任の江川と意見がくい違い、解決は明日のことにしようとごまかされてしまった、その故もありましたろう。けれど直接には、屋台の飲屋の雰囲気の故だったでしょう。
だいたい、この復興祭なるものが仁木の気に入りませんでした。そこには、真の復興を志す気魄などはみじんもなく、戦争がすんでほっとした気持ちの、それも終戦後一年余りたった後のその名残りの、頽廃的なものがあるばかりで、ささやかながら露命をつないできたという、みみっちく有難がる享楽気分まで交っていました。だから、各種の催し物にしても、在来の形式から一歩も出でず、新たな工夫創意などは片鱗さえも見えませんでした。復興だから在来の形式の踏襲でもかまわないとはいえ、少くとも何等かの純化浄化はあって然るべきだ
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