暑い夏の日々が続きました。仁木は雷雨と雷鳴を待ちこがれましたが、それらしいものは一向に来ず、強い日差しに、焼け跡の菜園の作物は萎れがちでした。
 その暑い中を、仁木は黙々として会社へ通い、黙々として事務を執りました。組合運動には何の熱意も示しませんでしたが、現場の工員たちからは信頼の眼で見られていました。雑貨の小さな店舗を出してる兄の商売を、彼は好まず、そちらへは殆んど顔を出しませんでした。けれど、復員者仲間の一人が闇商売をやっているのへは、好意を見せて、会社関係からいろいろ便宜をはかってやりました。そして彼の許へもいろいろ物資がはいってきました。それを、平井夫婦や富子はたいへん喜びました。然し彼は、お世辞を言われてもただむっつりしていました。
 酒を飲むのが彼の唯一の道楽のようでした。屋台の飲食店がたくさん並んでる方面へ出かけてゆき、メチールの危険の少い馴染みの飲屋で焼酎をあおりました。梯子飲みをすることもありました。その調子は、そういう屋台店の市井的気分を愛してるのではなく、逆にそれを軽蔑しながら、ただ酒だけを愛してるような風でした。
 酔って帰ると、彼は雑誌を読むか、または黒猫の
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