、ちょっと考えました。突然、彼は中腰のまま卓子を廻り、左手を中本の腕に飛ばせました。中本は仰向けに倒れました。
 中本はすぐ起り上り、坐ったまま、握りしめた両の拳を卓子について、仁木を見つめました。仁木は突っ立ったままで言いました。
「危いからおやめなさい。僕はあなたに反感は持っていません。危いからおやめなさい。……失礼しました。」
 彼は少しく蒼ざめていました。そして静かに室から出て行きました。

 淡い月光のなかを、仁木三十郎は歩いてゆきました。
 危い危い、と彼は胸の中で呟きました。彼は自分の拳法のことを考えていたのです。それは大陸にいる時に習得したものでした。師匠の言うところに依りますと、昔、伏牛山の小林寺に、達磨大師が易筋経なるものを伝え、その易筋経の中に書かれてるところのものが小林《しょうりん》拳法として今に伝えられているのだそうでした。その小林拳法の正統な秘術を、師匠は会得しているとのことでした。そういう師匠について、仁木は修業しました。師匠と別れて後も、独りで錬磨しました。激しい拳法で、相手の生命に関わることがあるので、うかつには使えませんでした。そして帰国してからは、
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