むと、まだ杯を下に置かぬうちに、彼女はもう銚子を取りあげて酌をしました。
料理は粗末だが、酒は尽きませんでした。
江川はもう可なり酔って、そばの芸者に爪弾きをさせながら、都都逸などをうなっていました。中本は端坐から胡坐になっただけで、いつまでも姿勢をくずさず、お座敷を勤めているのかどうか分らない身扮りの老妓を相手に、静に話をし静に飲んでいました。
ふしぎなのは一座の様子で、普通は芸者たちがあちこち席を変えて空気を一つにまとめあげるものなのに、そこでは、芸者はそれぞれ一人の客に付き添ったままで、恰も遊廓のような工合でした。互にあちこち話をし、言葉のやりとりをしても、それが途切れると、また男女一組ずつに別れてしまいました。
自分の相手方になり、そばにぴたりと付き添ってる女から、仁木はもう遁れられない気がしてきました。次から次へと、彼女は忠実に酌をしました。この機械的な動作の繰り返しの間に、仁木は搾木にかけられてる気持ちでした。彼女に杯をさす気にはなれませんでした。また、杯を満たしたまま放っておこうとすれば、それは彼女の機械的な動作を中絶させることで、すっかり調子が狂いそうでした。そ
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