その秦の肩を叩いて、星野は繰り返し言うのだった。
「も一度、詩に立ち戻りませんか。僕達は君の詩作を翹望している。世界の情勢は君の詩心を誘発せずにはおかない筈だが……。」
 星野はさすがに、戦争のことを直接に言うのを避けた。然し、詩のことが話題に上ると、秦はすぐに言葉をそらしてしまった。
「少し腹ごしらえに出かけましょうか。」
 話の最中に秦はたち上った。張を亭主の方へやって、星野を促して外に出た。宵の街路は雑踏の盛りにあった。肩々相摩する人込みは、それでも何の澱みも作らずに流れ動いていた。不思議に秩序ある混雑だった。秦はその間を巧みにすりぬけつつ、星野を競馬場の彼方へと導いていった。途中で幾度か、彼が頭や肩や手先の微細な身振りで、通りすがりの者に合図したらしいのを、星野は気付いた。そのうち、二人の青年がいつしか後に随っていた。秦は彼等に一言も口を利かなかった。
 小さな回教料理店に落着いた時、星野は秦と相並びながら、張と他の二人の青年に取り囲まれた形になった。秦は彼等のことを、懇意者とだけで、何の紹介もしなかった。彼等は殆んど口を利かず、慎ましく控えていて、羊肉を盛んに煮た。酒はあまり
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