飲まなかった。秦と星野は、羊肉よりも酒の方に気を入れた。
 星野はもう可なり酔っていた。得体の知れない青年たちに取り巻かれ、真中に煙筒のつき立っている鍋を前にし、老酒の杯を重ねた。正面の欄間、血の滴るような羊肉を盛った皿が際限もなく現われてくる料理場口の上方には、阿拉《アラー》伯父の経典が額縁にいれて掲げられており、そのアラビア文字は怪しい模様を描き出していた。
 嘗て東京で酔ってた時のように、星野は秦を、もうシン君と呼ばずに、日本流にハタ君と呼んでいた。
「ねえハタ君、何よりも詩だ、そして詩と酒だよ。その門から、至高な精神に通ずる。」
 秦はじっと阿拉伯父の経典に眼を挙げた。
「剣の道にも通ずる……。」
「そうだ、剣の道にも……。君、詩を書き給え。」
 秦は眉根に皺を寄せた。暫くしてから、ぽつりと言った。
「詩を作るより田を作れ、これも東洋精神の一つだ。」
 星野はその意を汲みかねて、二つ三つ目叩きをした。
 秦はだしぬけに、上海近郊の日本軍経営の農場のことを話しだした。そこには、台湾から来た本島人の青年たちや、附近の農村の娘たちが、数多く働いている。厳格な訓練と規律との中に働いてい
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