風で、中に鋭利な観察を含んでいた。抒情風の衣をまとった叙事詩、それが本領らしかった。勿論彼の詩才を認めそれを高く評価したのは、東京の文学者のうちの一部にすぎなかった。その一部にとっては、彼はまた時折、飲み仲間でもあった。酒には実に強かった。いつも金は多く所持していた。
太平洋戦争が始まって半年ばかりの後、彼はふいに支那へ帰った。失恋の結果だという風説もある。大使館から帰還させられたのだという風説もある。公金を費消した疑いがあるという風説もある。重慶側の知識層に知人が多いということは、今では一部に認められている。
彼ははじめ北京に住み、それから上海に移った。
この秦啓源を、星野は文学に復帰させたかったのである。彼の詩は中国文学に一つの生気を齎すであろうと、そう考えた。そして彼を文化活動の表面へ誘致したかった。彼のような能才を市井に潜没させておくのは、惜しみても余りあることだ。星野は、一種の在野文化使節としての使命から、また文学者同士の友情から、彼に逢いたかった。
その望みも果さずに、星野はもう、上海を立ち去ろうとしているのだ。星野が此地に来ていることは、新聞の記事によって、秦啓源は知ってる筈である。すぐにも姿を現わすべきではなかったか。
胸中の後味わるい思いを振り捨てるように、星野はつと立ち上って、知人から贈られたウイスキーの一瓶を戸棚から取り出し、窓際で飲みはじめた。
上海の空はいつも濁っている。それが今暮れかけた陽光を孕んで、へんに盲目的な没表情をしていた。キャセイ・ホテルの五階の星野の室からは、隣りの建物に切り取られた残りの空が、布片のように見え、反響のないその布片へ向って、雑多な物音の入り交った街路の喧騒が立ち昇っていた。
星野は佗びしい気持で、食慾も起らず、ただウイスキーを飲んだ。耳はひとりでに、大気を満してる騒音に傾けられていた。得体のはっきりした東京の騒音と異ってることが、旅情を深めた。旅情のうちには、蘇州の若い女の清麗な面影も浮んだ。それが、ふと、対蹠的な機縁で、或る時の秦啓源の姿をも思い出させた。
秦啓源が東京にいる時、赤坂の芸妓の梅子と深い仲だったのは、星野たち一同には周知のことだった。梅子はもう二十六七歳の、芸者としては年増の方で、ただなよなよとしただけの女だった。どこに惚れあったのか、それは当事者以外には分らぬことだが、二人は深
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