二十歳すぎた頃、江北のさる道教寺院で、祈祷の秘義を修め、霊界との交渉を得るに至った。数年を経て、上海の市井に隠遁している高僧玄元禅師の導きを受け、霊界との交渉は一種霊感の域へ引戻されると同時にまた深められた。それだけの経歴ではあるが、祈念する彼女の魂は実に純美であると誰しも認めたそうである。現代の言葉に飜訳すれば、或は精神統一とか或は自己催眠とか或は無我意識への参入とかに、彼女はすぐれた素質を持っていたらしい。祈祷のうちに、或は祈念をこらすうちに、時としては、ふとした忘我の瞬間に、霊界と感応して、大声にその言葉を伝える。しかもその言葉を自分で記憶している。だから彼女は、所謂シャーマンではなく、他界の精霊を意識的に信仰してるのではなく、単に霊気的感応を持つだけであり、随って、神託とか予言とか吉凶判断とかは為さない。
 そういう彼女ではあるが、その生活はおよそ右のこととは縁遠い。上海にあっては彼女は、カフェーの女給をしていたことがあり、また、或るフランス人に支那語を教えていたことがあり、また、暫くダンサーをしていたこともある。このダンサー時代に秦啓源は彼女を見出し、大西路の自分の住宅の一翼
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