んは探るように私の顔を見ていたが、俄に、途方にくれた様子で頭を振った。そして呟いた。
「奥さんが言われました、血の色見ゆ、血の色見ゆ……。」
私が呆然としていると、楊さんはまた繰り返した。
「血の色見ゆ。」
漸く私にも分った。聞きただしてみると、前日の午後、その言葉が丹永を通じて現出したのだ。しかも秦の行先は不明である。楊さんはひどく困惑の眼付をした。
「心配しなくともよかろう。」と私は言った。「たいてい、今晩は秦君に逢えるだろうから、逢ったら、そのことを伝えておくよ。」
楊さんは両手を胸もとに握りあわせ、くどく念を押し、深く辞儀して、帰っていった。
私は松崎の室に戻ったが、大きな薄曇りめいた気懸りがあって、碁にも興がなく、やがて外に出で、蘇州河にぎっしりもやってる小舟を暫く眺め、それからホテルの室に帰って、ベッドの上に身を投げだした。
ところで、この柳丹永のことだが、それを詳しく書くとすれば長い一篇の物語ともなろうから、茲には、この物語に関係ある部分だけを摘記するに止めよう。
彼女は幼い頃から、母に連れられて、鎮江の金山寺にしばしば詣で、其後、参禅の修業を積んだ。それから
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