っと我に返って、顔色を変えた。――いつも自分が無意識に発した言葉を意識しているのだ。――友も顔色を変えた。それから二人で手を執りあって泣いた。
 一週間後に、友の母親は死んだ。
 この種の例はいくらもある。――的中しなかった言葉は、解釈を誤ったのか、或は忘れられてしまったのであろう。
 張浩が狙撃された時は、少しく異っていた。
 その晩、夕食後、彼女はなんとなく淋しく、久しぶりに祈祷をした。居室の片隅に、亡き母の形見ともいえる古い小さな仏像が、真鍮と赤銅との少しの金具を鏤めた貧しい厨子に納めて、安置してある。その前に彼女は赤い小蝋燭をともし、跪坐して合掌した。
 祈祷の文句は折によって異る。仏教の経典の一節のこともあれば、道教の教義の一節のこともある。それを口中で誦しているうちに、身体は羽毛の如く軽やかになり、やがて意識は宙空に散逸する。――だが、この時、合掌した両手が重く感ぜられてきた。重苦しく下へ下へと引きさげられるのだ。いけないな、と彼女は意識した。だが両手は、いつものように自然に美しく上向しないで、重く下へとさがってゆく……。
 彼女は祈祷をやめ、平常意識に戻って、ほっと溜息を
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