真夜中から黎明まで
豊島与志雄

 時の区劃から云えば、正子が一日と次の日との境界であるけれども、徹夜する者にとっては、この境界は全く感じられない。彼にとっては、午前二時頃までは前夜の連続である。遠い汽笛の音、空気の乱れ、何かしら動いてるもののどよめき、一日の生活の余喘、……それらのものが大気中に漂っている。試みに戸外へ出てみよ。星の光はまだ人に親しみの色を帯びており、街路の空気には人の息が交っていて、帰り後れた飄々乎たる人影が犬と共に散在している。
 そして午前二時頃から、深い沈黙と睡眠とが万象の上に重くのしかかってくる。凡て夜を徹する人々が――遊戯に心奪われてる者や仕事に縛られてる者などを除いて――何となく起きてるのを堪え難く感じだすのは、この時である。四五の友人相集って談笑しているうちに、ふと言葉が途切れ心が沈んで、薄暗い影に鎖されるのは、この時である。地上のあらゆるものが鳴をひそめ息を凝らして、石のように冷く固く沈黙してしまい、空気が重々しく淀んでき、星の光が空の奥深く潜んでいく。そしてこの死のような静寂のうちに、天と地とに跨る大きな影が垂れ罩めて、月のある夜は月の光を、月のない夜は夜の闇を、嵐の夜はその雨風を、超自然的な帷のうちに抱きすくめる。その帷の襞や裾の奥から、無数の神秘な眼がじっと覗き出す。凡て物影に潜んでいるもの、人の眼につかないもの、形も色も音もない幽鬼の気、この世のものでないものが、空に地に浮動し彷徨する。而もそれはただ魂に感ぜらるるだけで、其処から来る魂の慴えも手伝って、官能の対象たる沈黙と静寂とは、層々とつみ重った深みを倍加する。地上の生ある物皆は、人も獣も草も木も、そういう深みの底に沈み溺れて、蠱惑的な窒息に眠り入る。それはまさしく、寂滅の時、逢魔の時、呪咀の時、丑時参りの時刻である。露や霜も降りるを止める、時間も歩みを止める、死と神秘との時間である。ただ時計の針の止らないのが不思議である。
 そして、冬ならば四時頃、夏ならば三時頃、突然或る物音が響く。身震いに似た木の葉の戦き、ぽーと尻切れの汽笛の音、無意識的な犬の遠吠、または何物とも知れぬ擾音、それらの一つがふいに何処からともなく起ってくる。それが相図である。沈黙と魔睡との底に凝り固っていた万象が、一斎にぞっと総毛立ってくる。星の光がぎらぎらとした凄みを帯びる、月の面がまざまざと磨き
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