と忍び笑いをする。
 瞬間にぷっつり息が切れて、わあっとしたどよめきになる。和田弁太郎は緊張した顔付で、そのままカフェーを飛び出していった。

 小説家は一寸話を切って、どうだろう、という工合に三度批評家の顔を見ました。
「それは面白い。」と批評家は云いました。
「それでいいじゃないか。」
 ところが、それが何だか小説家の気に入らないようでした。
「然し、彼は彼女に接吻した……それだけじゃあ、どうかな。」
「では、その後に、一寸何かつけ加えたらいいだろう。」
「それを僕は考えてるんだ。彼はひどく幽鬱になった……とか、彼ははっと晴々とした気持になった……とか、何かそんな風なことをね……。」
「うむ……然し幽鬱になったというのはどうも旧時代的だし、はっと晴々とした気持になった、というのはどうも余りに新時代的で、何だか不自然な作者の感想みたいに思われやしないかね。」
「だから僕は困っているんだ。彼女に接吻した、だけじゃあどうも納まりがつかない。」
「だが、その、実際の話はどうなんだ。実際のその男の話は。」
「それがね、むつかしいんだ。彼女に接吻した、それから変な気になって、郷里へ帰ってゆく。
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