男一匹、何にもしないでおられるわけはない。なにかかにか、用をしたり、考えたり、然し結局、何にもしないと同じことだ。
「いったい、どうしたんですか。」
「ただ、お逢いしたかっただけ。」
 彼女は眼尻で笑い、山田は溜息をつく。
 ちょっと来い、ちょっと来い。鳥の声と同じで、何も用はないのだ。腹を立てるほどのことでもないが、なにかしら苛ら立たしい思いで、山田は煙草を吹かす。
「また……はじまった。悪い癖だ。酒でも奢んなさいよ。」
「それこそ、悪い癖よ、なにかをいえばすぐ、お酒だって……。」
 彼女は大して酒好きではない。ただ、山田と一緒に飲むのが楽しいというのが、彼女自身の言い草である。そして、酔えばなにかと口舌が始まる。それも大した口舌ではない。つまり、下らないことをあれこれ並べ立てて、愛情の保証を求めようとするのだ。然し、愛情の保証なんて、世の中にいったい確実なものが何があるか。結婚とは、いつでも破ることの出来る形式に過ぎない。子供を拵えることは、無意識の偶然の現象に過ぎない。起請誓紙などは、古めかしい反故に過ぎない。だから、ちょっと来い……そしてすぐに来る。それだけが最も確実な保証なの
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