前にして、ぼんやりそんな変なことを思い出しながら、晴れやかな美しい幻を見たのだった。……あの美しい処女喜代子が生命をかけて恋している。相手の男はそれにふさわしい美しい人である。今は下宿の陋室にくすぶっているが、やがては二人の恋愛から……。
喜代子の消息は、それきり中野さんの耳へは余り達しなかった。勿論喜代子はやって来ないし、中野さんの方から武井家へ出かけてゆきもしなかった。
夏の暑い盛りになると、例年の通り、中野さんは家族連れで常陸の海岸へ行った。高等学校へ通ってる上の子は、友人と登山の旅に出かけたので、静子と中学二年の子と小学校へ行ってる二人の娘と、女中を二人連れて行った。
毎日いい天気が続いた。漁も豊富だった。毎年来るのではあるが、やはり海岸は爽快で物珍らしかった。
そこへ、或る日、喜代子からの桃色の封筒が配達されてきた。
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叔父さま。
何と申上げてよいか、ただ心から感謝いたすより外はございませんの。私は叔父さまに叱られるのが、誰よりも何よりも恐ろしゅうございました。そして、こんどのことについて、叔父さまこそ一番ひどく御怒り遊ばすものと存じておりま
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