付いて云った。
「それが、まだ血統も何も分りませんし、詩を書く人だというきりで、下宿屋にごろごろしているというんですからね。」
「血統なんか調べたらすぐに分るでしょう。それに、詩人なんてものは、今日は下宿屋に転っていたって、明日は天下に名を知られるようになるかも分らないから。」
「へえー、そんなものでしょうか。」
「とにかく、その男と一緒になさるのが一番よい策でしょうね。」
「あなたがそんな考えだろうとは、思いもよりませんでしたよ。ほんとにわたしは、途方にくれてぼんやりしてしまって……。」
 中野さんも実はぼんやりしているのだった。中野さんはどうかすると、ひどくぽかんとすることがあった。そしてそういう時、よく思い出す一事があった。
 まだ中野さんが十歳くらいの時のことだった。実母が死んで若い継母が来ていたが、その新らしい母に対して、彼は実母に対するのとは全く違った気持でなつかしんでいた。喜代子の母が――二つばかりの赤ん坊だったが――胸に抱かれて乳を飲んでるのが、妙に羨ましく妬ましかった。そんな気持から、或る時ひどい悪戯をした。若い母はいつも日本髪に結っていて、鼈甲だの珊瑚だの瑪瑙だの、
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