「あら!」と云って喜代子は同棲以前の通りの身振をした。「……だって、これっきり着物はないんですもの。それに、始終出歩いてますから。」
「始終出歩いてるって……。」
「ええ、あたし勉強を初めたんですの、フランス語の勉強を。毎週三度ずつ教わりに行ってるんですの。」
「フランス語の勉強を初めたって……そんなものを何にするのかね。」
「毎日用がないものですから、笹部にすすめられてやってみましたの。……でも、フランス語を知っていなければ、本当によい詩は分らないんですもの。」
「フランス語を知っていなければよい詩が分らない……そんなものかな。まあ……兎に角感心だね。」
「ですから、あの……聞いて下さいますの。笹部もどんなに喜ぶでしょう。」
「いや、そう一人ぎめにしたって……少し考えなくちゃあね。」
「だって何にも考えることなんか……ほんとにあたし達困ってるんですの。それが出来なければ、どうにもならないんですから。」
「ほんとうかね。」
「ええ。あたし叔父さまには、何にも隠してや……嘘を云ってやしませんわ。」
喜代子の美しい顔が引きしまって、それから渋《しか》めた泣き顔になりそうなのを、中野さん
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