ってる本来の感じである。静まり返り澄み返ってる剥脱の世界に、まざまざと現出せらるる明暗の区劃は、じかに人の心に迫ってきて、真裸な心のうちにも、くっきりとした光と影とが投げられる。そして人は知らず識らずに、自分の心を凝視する専念のうちにはいってゆく。純なるもの、不純なるもの、澄んでるもの、濁ってるもの、それらがきっぱりと形を現わしてくる。
斯かる赤裸な凝視の眼は、それ自身の性質上、未来に向けられないで、ただあるがままの自分自身――過去を荷ってる現在の姿にのみ向けられる。そして自然も人も、秋の世界全体が、自分の赤裸な姿を見守る専念のうちに沈黙する。
この専念の沈黙、それを堪えることが出来、それを真に味感することが出来る者にとってのみ、秋は淋しくも佗しくもない。其処にはただ、清浄なる瞑想のみがある。遠い地平線の彼方へまでさ迷い出る魂が、そのままの憧れを懐いて胸の中に戻ってくる。そして健かな清い感激が、あらゆる雑念を吹き払って、自己の存在感――じかに胎にこたえる存在感――を強調する。
こういう意味に於てのみ、秋は讃美すべきである。そして、修道院の祈願を思わせるような爽快な夜明と、霊的な恋
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