秋は淋しい、というのは真実である。秋はあらゆるものの外皮を、不用なものも必要なものも、凡ての外皮を、自ら振い落さしめて、万物を裸のままでつっ立たせる。秋を淋しくないと云う者は、衣服を脱いで真裸でつっ立つ折の、妙に佗しい頼り無い淋しさを、鈍感のためにか或は厚顔無恥のためにか、身に感じないていの者であるに相違ない。
 かかる落葉の――剥脱の――世界に、更に特殊の気味を添えるものは、淡いながらに鋭い日の光である。やや南方に傾いた日脚と北から来る冷かな微風との為に、その光は弱く淡くなりながらも、極度に澄みきった空と大気とのために、非常に鋭くじかに射してくる。宛も真空《しんくう》の中に於けるがように、何物にも遮らるることのないその光が、如何にくっきりとした日向と影とを、地面の上に投げてるかを見る時、人は殊に深く秋を感ぜさせられる。落葉の上の木立の影、田の畝の草葉の影、野の上の鳥の影、そして狭苦しい都会の中にあっても、苔生した庭の上の軒影、障子にさす植込の枝影、それらのものが、明るい日向ときっぱり区劃せられてるのを見る時、人の心には云い知れぬおののきが伝わってくる。
 このおののきこそ、秋が持
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