情意の干満
豊島与志雄

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)見戍る[#「見戍る」は底本では「見戌る」]
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 海の潮にも似たる干満を、私は自分の情意に感ずる。
      *
 書物を読み、絵画を見、音楽を聴き、人の話に耳を傾け……而もそれが如何に平凡なものであろうとも、一つの句、一つの色、一つの音、一つの声が、全体の凡庸愚劣卑俗から遊離し昇華して、私の心を打つ。私には全体の見通しがつかず、独立した個々の一部が、偉大なる天才の手に委ねられて、万華鏡の硝子の破片のように――ダイヤのように――閃めく。言葉を信ずべからず、如何なる人の口より発せられたるかを先ず批判せよ、とは真理であるが、ここにはその真理は成り立たない。凡てが誠実の口から発せられる。私の魂は皮膚を剥がれた赤肌である。私は屡々涙ぐんでいる自分をさえ見出す。こういう時私は、批評家ではない。唾棄すべきものをも感嘆するからである。猶更、創作家ではない。反故以下のものをも書きちらすからである。こういう時私は、生活を考えてはいけない。皮相な妥協に甘んずるからである。
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