猶更、社会を考えてはいけない。感傷的な人道主義に陥るからである。私の凡ての精神活動は涙で曇らされる。この涙の曇りを、私はルーソーに見出す。ドストエフスキーに見出す。ルイ・フィリップに見出す。ニイチェにさえも、否大抵の人に多少とも……。そして私の眼には、通俗版画のなかの、キリストを仰ぎ見る使徒たちの眼付が、まざまざと映ってくる。ああいう眼付で彼等はキリストを眺めた筈はない。然し今私は、それに似た眼付で凡てのものを眺める。
 情意の干潮の時なのだ。
 恋人よ、私は君のことを考える。君のやさしい目差しを、君の微笑みを、君の温かい息を、更に、君の存在のなつかしい香りを……。それが、曇り日の夜明の色とぬるま湯の感触とを帯びて、拡がり拡がり、私の世界を包んでしまう。私の周囲に深く立ち罩め、私の視線を遮ぎり、私の心の奥底にしみこんでくる。書を読む私の眼はいつしか空間に放たれ、物を書く私の手はいつしか机上に置き忘れられて、私はぼんやり君のことを夢みている。夢想のなかの君が現実であるか仮象であるか、私は知らない。何れにせよ、私にとっては、君であることに変りはない、君の存在であることに変りはない。無数の思
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