、飛びつきたいような親しみを見せた躊躇の素振だった。ただそれだけのものが、東京で私がふれた一番深い感情だったのである。
それから私は、食事をしに或は酒をのみに、しばしばみますへ行くようになった。お幾とまじめな話をすることもあった。みよ子は小さいときから、三味線と踊りを仕込まれていたが、見どころがあると土地の姐さんのすすめで、芸妓になることになっていた。お酌から出したいのだがいろいろ都合もあり、もう一年たって十七になったら一本でつきだすつもりだと、そんなことをお幾は、以前その土地の花柳界になじんでいたことのある私へ、話とも相談ともつかずもちかけてくるのだった。私もしんみに受け答えするうちに、遂にみよ子の肩を入れて、多少の面倒はみてやるようになった。それは少しも浮いた気持からではなかった。芸妓稼業というものはどうせ浮気な水商売だと一般に見られているが、そして大体はそうであるが、中には、堅気の女よりももっと地道なしっかりした心掛でやってる者もあるのを、私はよく知っていた。みますの片隅の卓子に腰を下して、自分の今後の生活のことを考えたりしながら、お幾親子のその日その日を稼いでゆく生活を頭の中
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