生などがここを歩いてるのも他に逍遙の場所がないからのことである。また蘇州の東呉大学ほどの美しい大学も上海には恐らくあるまい。
郊外のクリークのほとりには、多少の鄙びた美景もあるかも知れないが、戦火に荒された後のこととてそれを探る由もない。然し汽車の窓から眺めたところでは、青々たる麦畑の中を大きい帆が悠々と滑りゆくような蘇州辺の光景は、上海郊外には何処にも見られなかった。張継の詩で有名な寒山寺横の楓橋あたりの運河の眺めは、平凡ななかに特殊な風趣を含んだものであるが、それに似寄りのものでも一つ上海郊外に欲しいと思われるのであった。
或は、そういう場所が上海郊外にも見出せるかも知れない。然し誰も探しに行こうと思う者さえない。上海は人を市内に引止めて離さないのだ。ここにも上海の何かの特殊性があるのであろう。
蘇州郊外の霊岩山からの太湖の眺めや、鎮江の甘露寺からの揚子江の眺めや、杭州の銭塘江の鉄橋上からの眺めなど、そういう贅沢なものまでほしいとの要求を上海にはなすまい。また、杭州の西湖は別として、楊州の通称西湖は大運河の名残りの川沼であり、南京の秦淮河は灌水の濠であり、そこに浮ぶけちな画舫
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