心さには、他に何か別な根深いものがあるようである。南京路辺の雑踏中のアパートの上層で、他地から移ってきた大学分校の授業が続けられてるのは、種々の事情上やむを得ないことであるとしても、北京路辺の元からある小学校などでは、隣家の裏口の洗濯の音が、教室内にまで遠慮なく飛びこんで来るのがある。また四川路あたりには、街路の壁に立てかけた掛枠に草双紙類がずらりと並んでる周囲に、子供たちや中には大人まで集まって、僅かな料金でその貸本を借り、自動車や黄包車や通行人の雑沓のなかに街路に屈みこんで、一心に読耽ってるのが見られる。夏になると、そうした貸本屋が出る日陰の場所は、また恰好な凉み場所でもあるのだと、或る人は云った。子供の時からこういう風に鍛えられてきた神経は、長ずるに及んで如何様になるであろうか。
 斯かる神経は、如何なる喧騒にも堪え得るであろうし、また、如何なる生活にも堪え得るであろう。そしてまた、喜怒哀楽を表わさない底知れぬ表情をも作り得るだろう。
 上海は一面騒音の都市であるが、支那宿の騒々しさはまた特別である。蘇州や楊州などのような比較的早く寝静まる都市に於ても、支那旅館では、深夜まで放談
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