ら、話はとぎれがちに、目前のこととは縁遠い事柄へとばかり走りました。沼で取れる魚類のこと、野菜や果物のこと、芝居や映画のこと、菓子のこと、草花のことなど……。そしてこの女主人は、あらゆることを知ってはいるが、肝腎な何かを知らず、つまりは何にも知っていないように、八重子には感ぜられました。
「お疲れでございましょうから……。」
 言われてみると、もう十時を過ぎていました。
 室を一つ距てた奥に寝床がのべてありました。八重子は長襦袢のまま、八端の柔い夜具にもぐりこみました。
 夜の静寂の音とも細雨の音とも知れないものが、耳について、なかなか眠れませんでした。
 ――いったい、ここはどういう所なのであろうか。
 枕頭の二燭光の雪洞が、へんに異境的な情緒をそそりました。八重子は幾度も、眼を開けたり閉じたりしました。東京の家のこと、兵営の梧郎のこと、夜の停車場のことなどが、すぐそこに宙に浮き出して、背景は遠くぼやけ、そのぼやけた中に彼女自身もありました。
 長い間眠られず、そしてうとうとしたと思うと、また眼がさめました。それを幾度か繰り返したようでした。
 なにかはっきりした物音がしました。人声
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