ってることであって、私は一言概括したにすぎないが、然しここに重要なのは、その由って来る原因である。なぜそうなったか、その原因を考察する時に、少年文学の大事な問題につき当る。
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少年文学は、一体、大人が見てそして感じたものを少年に示すという立場で書かれるべきものであろうか、それとも、少年として――というのが無理ならば、少年のそばに身を置いて――書かれるべきものであろうか。云いかえれば、大人の頭脳に映ったものを少年にも分るように再現されるべきものか、それとも、少年の頭脳に映ったものの再現であるべきか。――私は躊躇なく後者だと答える。
少年の頭脳に映ったものの再現ならば少年自身の手でしか書けるものではない、などという理窟はやめよう。私はただ魂の据え方精神の持ち方をいうのである。例えば寓話に於ては、その理知は大人のものであってもその情意は子供のものである。童話に於ては凡て子供のものである。少年文学に於ては、凡て少年のものもしくは少年に転位されたものであろう。
然るに、現在行われてる多くの少年小説とか少年読物とかは、大人の立場から書かれたもののようである。大人の頭脳に映ったも
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