たところに、彼等は救われたことを感ずるだろう。
 現在日本に於て行われてる少年小説もしくは少年物語は、右の線に沿って発展させられてるかどうか。これは甚だ疑問である。いな反対でさえあるものが多い。大抵面白い作品であることは事実であるが、その面白さ、その興味は、冒険的なもの、怪奇的なもの、感傷的なもの、頓知的なもの、其他勇壮も悲愴も悉く、偶然の機会にかかってるといってもよい。そしてこの偶然の機会そのものが、それらのものを、たとい現実的な道具立の中に置かれていようとも、軽薄なもの人為的なものとして浮上らせる。それは作品を人形芝居となすだけである。
 なおその上、この人形芝居に、教訓的な道徳的な意図が加えられる。そしてこの意図は、人はかく生きなければならないということから発したものでなく、人はかく行わなければならないということから発したものである。即ち、真実に生きることを示したものではなくて、或る観念を以て、或る規範を以て、行為を規定したものである。だからその教訓や道徳は、外から少年の心情を束縛することにだけ役立って、決してそれを明朗に活溌に躍り立たせはしない。
 それらのことは、云わずとも分
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