る。
この困難をつきぬけるには、ただ一つの事に頼る外はあるまい。即ち、多少きざな言葉だが――きざと聞えるほど吾々が縁遠くなってることだが――生の喜び。現実に生きてるその生きてることの喜びである。これは少年の心情にじかにふれるものであって、而も山野の神々や種々の理想と共に眠ってしまったものである。後者をよび覚すことはもう困難であるとしても、前者を蘇らすことは不可能ではあるまい。
茲に、現実的ということを再考しなければならないが、少年にとっては、現実の範囲が既に大変拡大されている。知識の普及、殊に実写映画の影響によって、現代の多くの少年にとっては、アルプスの頂上も、深海の底も、北極の氷山も、アフリカの猛獣も……それほどでなくとも、汽車、汽船、飛行機、工場、田地、すべて身近なものであって、空想郷のものではない。魚類や昆虫の生態にまでも、親しみがあろう。斯くて、地上に存在する凡てのものが彼等にとっては現実的であるならば、その中に於て生の喜びを復活させることは、文学技法によって困難ではあるまい。種子の萠芽の驚嘆すべき力のクローズアップも、文学に於て不可能ではあるまい。そして生の喜びが復活され
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