白の男、三人の海軍士官、それだけが全部の乗客で、飛び飛びに腰掛けながら、ひそひそと話しているのもあれば、退屈げに窓の外の闇を透し見てるのもあれば、夕刊を拡げてるのもあったが、多くは窓にもたれてうとうとと居睡っていた。そして誰も私の方へ注意してる者はいないらしかった。車室内の空気までが静かでぼんやりしていた。で私は安心して、斜向うの彼女をじっと見調べてやった。
彼女は見た所、二十七八歳くらいらしかった。それが一寸困った。みさ子は二十一二歳でなければいけなかった。けれど、年齢の差くらいはどうにでもなる、と私は思い返した。硬ばった額の皮膚を、毳《むくげ》のありそうな柔かい薄い皮膚に代え、眼の奥の潤みを多くし、唇の肉付を薄め、指の節をまるめ、爪の生え際の深みを浅くし、首筋の肉をぼやぼやとさせれば、それで若やぐのだったから。
そんなことを考えてるうちに、汽車はもう進行しだしていた。彼女は向き直って、控え目な視線でちらと車室の中を刷いて[#「刷いて」はママ]、それからぼんやり、膝の小型な金縁の書物に眼を落しながら、いい加減に読んでいる――というよりも寧ろ、取り留めもない夢想に耽っているらしかった。その正面の顔立を見て、私は一寸息をこらした。みさ子そっくりだったのである。
房々とした髪の影を落してる彼女の額は、心持ち狭くて淋しみを湛えていた。白々としたその皮膚が、余り広くない知識を思わせた。理解しようとすまいと、そんなことに頓着なく、一種の皮肉と憂鬱とで、何かしら自分にも分らない要求から、翻訳小説を読み耽ってる、みさ子の額、小さな活字の上に屈めた額、そのままだった。――ずっと一筆で刷いたようにくっきりとして、細長く消えてる淋しい彼女の眉が、みさ子の眉に丁度ふさわしかった。未来の劇作家を以て自任してる或る大学生と、みさ子は恋をしていたが、余り長続きしそうもないその恋を思わせる眉だった。――彼女の眼は、妙に見透せない影に包まれて、その底に何か冷たいものを含んでいた。脹らみのない薄い眼瞼、長い睫毛、小さな黒目、そして眼尻にあるかないかのかすかな凹み。私はその伏せられてる眼をじっと窺って、一寸みさ子からはぐらかされた気持になった。みさ子はもっと露わな眼付を持ってる筈だった。然し今に彼女の眼が挙げられて、私の方を向いたら、或はみさ子の眼になるかも知れない……などと考えて、私は彼女の視
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