の象徴として現われる。そして彼が、かかる象徴としての事物人物、もしくは現象を描く時には、それに芸術的表現を与える時には、彼の眼が見た暗示的内容は具体的内容となってしまう。これを私はかりに、現化(インカーネーション)と名づけたい。暗示的内容が具体的内容として現われると前に云ったのは、即ちこの現化の謂である。
芸術品の本質的な価値は、この現化の多少によって定まる。(云う意味が、象徴主義の芸術を主張するのでないことは、行き方に於てはその反対でさえもある場合があることは、現化の意義によって分ると思う。)この現化されたるものこそ、作品の熱であり力であり気魄であり魂である。そしてこの現化の領域を拡げることが、芸術家としての第一義的の努力であらねばならぬ。
かかる努力を刺戟するものは、作品の具体的内容である。芸術上の現化(インカーネーション)は、表現の技巧と啓示的内容とより来るものではあるけれども、技巧論は単なる描写をのみ対象としがちであり、暗示的内容論は単に作者の眼をのみ対象としがちである。表現の技巧と作の暗示的内容とが切り離される所には、現化は決して起り得ない。深い意味に於ける具体的内容が問
前へ
次へ
全9ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング