の区別がないし、また優れたる作品に於ても、両者は一体をなしているものであるから。それを両者に分解するは、優れたる批評家の眼力に俟つの外はない。然し私は、論旨を進める便宜のために、今かりに両者を区別してみた。
さて、本論の最初に立ち戻ってみる。作品の書かれたる内容を、即ち具体的内容を問題となすべき時期に、吾が文壇は辿りついていると私は思う。
一般的に云って、表現の技巧が可なり進んでることは事実である。云い換えれば、文壇の水準線が高まったのである。毎月発表される多くの作品を見ても、その技巧の方面に於て大なる欠陥を有するものは、極めて稀である。所謂新進作家の作品を見れば、この感が殊に深い。更に、各種の投書的作品を見ても、これは明かに感ぜられる。それらの作品は、みな可なりうまいものであり、更にその「うまさ」なるものが、表現の技巧のうまさであることを考える時、吾が文壇の技巧的水準線が、如何に高まったかは明かであろう。実際文壇に出ている多くの作家は、その表現の技巧に於て、可なりに確実な腕前を有している。大概の材料はこなせるだけの手腕を有している。
また一方に、批評界の方では、表現の技巧を以
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