て、荷物はそっくり置いてゆくとのこと。いつ戻ってくるか分らないと言いながら、予定通りに半年ばかりで戻ってくるつもりなのだろう。そしてその間、私の心を繋ぎとめておきたいのだ。女を引きつけるには、好意にせよ、敵意にせよ、とにかく何等かの関心をこちらに持たせることが肝要で、無関心の状態に置いてはいけないと、何かに書いてあった。愛情でなくば、むしろ憎悪を、女に懐かせることが肝要だと。手塚さんの言葉は、そのどちらかをどうぞ、というような調子だった。姉さんには時折縁談があり、不在中にどんなことになるか分らないものだから、万一の場合のため、私の心を惹きつけておきたいのだ。いつも独りでは淋しいのだ。戦争のために心情は荒れてしまっておるし、工場に勤めて製図ばかりやり、生活に潤いがないからだろう。
こんなことを考えるのは、私が冷酷なからであろうか。姉さんはたぶん、私のような考え方はしないに違いない。姉さんは戦争未亡人なのだ。結婚生活は短く、御主人の戦死も公報が来たし、終戦後、実家に戻って来ている。再婚の話も時折ある。その縁談のことなど、手塚さんへどういう風に話しているのかしら。そして手塚さんはどういう風
前へ
次へ
全22ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング