小さき花にも
豊島与志雄
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【テキスト中に現れる記号について】
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(例)小説4[#「4」はローマ数字、1−13−24]
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すぐ近くの、お寺の庭に、四五本の大きな銀杏樹がそびえ立っている。そばへ行って調べてみると、三本で、それが見ようによって、四本にも五本にも見える。こんもり茂っているのだ。その樹に、雀がたくさん巣くっている。朝早くから起きて、ピイチク、チュクチュク、ピイチク、チュクチュク、騒がしいったらない。朝日の光りがさしてくると、ぱっぱっと、一群れずつ飛び立ち、四散して、どこかへ行ってしまう。そして夕方また帰ってくる。何をしているのか、ピイチク、チュクチュク、ピイチク、チュクチュク、騒ぎまわって、薄暗くなるとひっそりしてしまう。
御近所で、たいへん迷惑してる家もある。私の家では、却ってそれを利用している。朝は眼覚時計の代りとなるし、夕方は終業の鐘の代りとなる。
お父さんが、中風でぶらぶらしていらっしゃるものだから、皆で働いた。御仕立物の小さな看板を出して、お母さんは和裁の針仕事、姉さんは洋裁のミシン。私は外に勤めに出た。二階は間貸しをしている。それでどうにか暮しを立てた。お母さんはもともと体が弱いたちで、お父さんの病気のこともあって、夜分は仕事をなさらない。しぜん、雀の鳴き声で仕事をやめ、おそい夕御飯となる。その代り、朝は早く、雀の鳴き声といっしょに起き上ることとなる。
その、銀杏樹の雀の群れには、親雀もおれば、今年生れの小雀もいる。みんないっしょになって、ピイチク、チュクチュク、ピイチク、チュクチュク。うるさいな、と私は思ったこともあるけれど……おう、なにがうるさいものか。もっと鳴け、もっと鳴け。胸いっぱいに、声いっぱいに、もっと鳴け。よたよた飛んでる遅生れの小雀も、精いっぱいにもっと鳴け。私だって、もし雀だったら……。
今は黙っているけれど、センチになってるんじゃない。腹立たしいのだ。怒っているんだ。そしてどうやら、悲しいのだ。
手塚さんが郷里へ立つ日だった。朝早くの汽車だから、雀よりも早く起き上った。お母さんと姉さんは、手塚さんの幾食分かのお弁当を拵えている。私は二階へ行ってみた。
手塚さんがなんだかお気の毒で、お可哀そうで、と言っては生意気のようだけれど、どうしていらっしゃるかしらと思ったのだ。どの程度か分らないが、胸の御病気で、それに胆嚢もお悪いとかで、半年ばかり、瀬戸内海に面した郷里へ帰って、療養してくるとのこと。前夜は私、へんなことで帰りが遅くなったが、手塚さんは少しお酒を飲んだとか、ぽーっと頬を赤くしていた。それだけだった。それでいいのかしら。手塚さんとお姉さんは、愛し合っているのだ。そしてこれから半年ばかり別れねばならないのだ。それなのに、何事もなかった。いつもの通りだった。手塚さんが茶の間で話しこんでるだけだった。それきりで、明朝は早く起きなければならないからと、みんな早めに寝た。その、何事もなかったということが、朝になってから、却って私の気にかかった。
二階は、もう蚊帳も布団も片付けられているのに、電燈がついていなかった。おや、誰もいないところに踏み込んだ気持ち……私は立ちすくんだ。けれどすぐに眼は馴れてきた。東の空の曙光を受けてぼーっと明るかったのだ。植木鉢が三つ四つ並んでる出張り框に腰掛けて、手塚さんは私の方をじっと見ていた。へんに工合がわるくて、私は言葉もなく、微笑も出来なかった。
「こんなに早く、あなたも起きたんですか。」
手塚さんはいつから起きてるのかしら。
「なかなか夜が明けませんね。まだ星が光っていますよ。」
そして手塚さんが、向うむいて空を見上げたので、私はほっとして、その側までいった。大気が白んでるだけで、中天はまだ薄暗く見え、星が幾つか、妙に近々と浮き出して閃めいていた。
そして暫く黙っていたが、突然だった。
「喜久子さん。」と手塚さんは私の名を呼んだ。
私は振り向いたが、手塚さんは首垂れて眼を伏せていた。
「喜久子さん。僕は黙っていようと思ったんですが、やはり、打明けましょう。郷里へ帰って、身体がなおったら、また出てくるつもりですが、それもいつのことやら分らないので、あなたにだけ、この心の中を打ち明けておきたくなりました。どう思われようと、ただ打ち明けておくだけで、僕の気持ちはさっぱりします。実は、僕はあなたの方を愛していたんです。ほんとに、あなたの方を愛していたんです。今でも、あなただけを愛しているんです。こう言っても、あなたの愛情を求めるつもりではありません。ただ、知っておいて頂きたいんです。はじめからあなたを
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