有吉は事もなく云って、微笑していた。
「街路樹よりも、もっと本物らしいのがあった……。」
先程から、有吉の軍服と旭日章とをぼんやり眺めていた杉本が、ふいに口を開いたのである。皆の視線がその方を向いた。
――九月三日の夜……といえば、戒厳令が布かれた直後のことである。流言浮説は深刻の頂上に達していた。自戒団や避難民で街路は湧き立っている。……が、その間に、まだ電燈のともらない裏通りなどに、変に薄暗い、人気の少い穴みたいなところがある。そんなところが最も危険だ。特に、広い墓地を控えた寺の入口など……。その或る寺の入口に、石の仏像が一つあった。すると、三日の夜、誰かが、気転を利かして、在郷軍人の、軍服の上衣と帽子を、その石の像にかぶせた。そして、軍服をきた石の像が、四日をすぎて、五日の朝まで、そのままつっ立っていた……。畑の中の案山子なんかより、もっと有効に……。
「ばかな!」
有吉が一喝した。
その時になって、話のおかしな感銘を一同は感じたらしかった。それが、杉本の口を噤ました。
「愚弄するのか……。」
「…………」
杉本は腑に落ちない顔付で、ぼんやり立上った。その腕を、有吉は掴
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