多い古い合服が、変に目立っていた――それが、彼自身の意識にもうつって……。
「西瓜で思い出したが、」と杉本の側で声がした、「震災の時、河岸縁を、西瓜を一つ抱えて、一生懸命に走って行く小僧がある……。走っても走っても、どこも火事だ。息が切れて、立止ったとたんに、思いついた。西瓜を割って、中身で喉をうるおして、その皮を頭にかぶって、大河につかった。そして生命を助かったそうだが……。これなんか、恐らく東京中で、一番賢明な奴だったろう。」
「初めは、夢中で抱え出したんだな。とかく、智恵は後から湧くって謎か。」
「後から智恵が湧くどころか、終始一貰、あの時は誰も夢中だった。君なんか、外は歩けなかった組だね。」
言葉を向けられた、背の高い、大陸的な風采の男は、昂然と笑った。
「ばかな、大手を振って出歩いたさ。そして警戒線にぶつかると、アイウエオやいろははおろか、逆に、すせもひゑしみめゆきさあてえ……。どうだ、云えるか。」
「す……せ……も……。ははは、ばかだなあ。」
「あの時だけは、有吉、君たちの軍服も、感謝の光栄に浴したわけだね。」
「なあに、ただ、辻々に立って……街路樹みたいなものさ。」
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