ろう。愛情もなく、生き甲斐もないのである。彼女は反撥し、反抗した。嘗て彼女も、恋愛を経験したことがあり、相手の男は戦争中に陣没したが、忘れかけていたその青春が、また芽を出した。長谷川が、どこやらその男に似ていたのだ。身を以てする復讐、そして身を以てする復活。彼女は長谷川を虜にした……。
 そこまでは、甚だ平凡であり、通俗小説の筋書きに等しかった。
 然し、彼女の心理には、特殊なものがひそんでいた。超自然的な奇蹟、人間の運命、その両者の関連など、普通の理知からはみ出した信念があった。深夜に琴がひとりでに鳴り響いたのも、彼女にとっては一種の啓示であり、あの日の大雷雨も、彼女にとっては一種の啓示であった。そして長谷川との肉体の交渉は、到達点ではなく、出発点に過ぎなかった。出発して、そして何処に到るかは、ただ神のみぞ知る。
 千代乃は、頬の皮膚を薄紙のように張りきり、眼に深い光りを漲らして、長谷川を見つめた。
「覚悟していらっしゃい。わたし、もう一生あなたを離さないし、あなたから離れないから。」
 長谷川もいつしか、覚悟をきめていた。
 遁れられない運命だと、なんとなく彼女の説にかぶれかかって
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