買えるだろう。ばかばかしいことだ。また、あの残りを彼女が柿沼に食べさせようと食べさせまいと、そんなことにいったい何の意味があるか。
 一種の嫉妬であったろうか。嫉妬には灰汁の苦さと蜜の甘さがあるものだが、それがなかった。
 長谷川は朝食がおそく、昼食をぬきにして、夕食をとる。その給仕は、本館から来る女中がすることもあり、千代乃がすることもあった。だが彼はむしろ、独りでゆっくり食べることを好み、千代乃を階下へ追いやった。
「分ってるわ。気になさらないでね。」
 千代乃の態度には、何のこだわりも見えなかった。それが却って、長谷川には物足りなかった。
 千代乃ばかりではなく、松木にせよ、柿沼にせよ、ほとんど長谷川を眼中に置いてないかのようだった。他の来客と一緒に、酒宴をし、高笑いをした。それが実は、当然だったとも言えよう。二階の一旅客に気兼ねする理由など、全くなかったはずだ。
 然し長谷川にしてみれば、それが、自分の地位の急な転落とも感ぜられたのである。謂わば、主賓から一挙に居候に成り下ったのである。あてがいぶちの食事をぼそぼそ食べ、そこにごろりと寝ころんで、暮れかかった空を眺めていると、へ
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