んに佗びしい気持ちになった。食後の皿小鉢をさげにさえ、誰もなかなかやって来ないのである。
「もうお済みになりまして?」
千代乃が上って来て声をかけても、彼は起き上らず、返事もしなかった。
千代乃は縁側に佇んで、彼方の天城山の暮色を眺めた。
「ひまになったら、天城山に登りましょうね。」
彼はただ機械的に頷いて、心の中では、ひまになったら、とその言葉を苦々しく繰り返した。
すべてなにもかもひまになったら、だった。彼女はいま、ひまではないのだ。主人の柿沼の相手をし、兄の松木の相手をし、其他の人々の相手もしなければならないのだ。そんなことのために彼女は存在しているのであろうか。
惜しい……その思いに長谷川はぶつかった。惜しい、そして残念だ……。
彼女の面影が、宙に浮き出してありありと見えてくる。強い視力のこもってる眼が、じっとこちらを見ているし、肉附きの薄い細面の頬が、きっと引き緊って蒼ざめている。何かを待っているのだ。
あのまま、あんな連中のなかに、打ち捨ててはおけない。惜しい、そして残念だ。
この感情を愛そのものだとは、長谷川は自認しかねた。然し、憐愍には甚だ遠く、恋愛に甚
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