その手を引っこめ、ぽつりと瞼にたまった涙を、指の甲で拭いた。それを押し隠すように立ち上って、縁側に出てゆき、硝子戸を開いて、外を眺めた。
長谷川にとっては、全く思いもかけない所作だった。彼はただ酒を飲むより外はなかった。
千代乃は座に戻ってきて、まだ硝子戸の方へ眼をやりながら言った。
「お酒は、もうよしましょうよ。霧がはれかかってきたようなの。裏山にでも登ってみましょうか。霧の上から富士山が見えてくるところは、きれいですよ。」
何を言ってることやら、気まぐれにも程がある、と長谷川は思った。裏山の頂からは富士山がよく見えたが、それももう彼には面白くなかった。
「こんど、天城山に登ってみましょうか。」
それも気まぐれらしいが、天城山なら彼も気が惹かれた。
「行ってもいいですね。」
もう話を元に戻すすべはなさそうだった。
彼は残りの酒を飲み、本館へ湯にはいりに出かけた。
彼女の言ったことすべてが、本当のようでもあり、嘘のようでもあった。何の手掛りもなく、掴みどころがなかった。
霧のはれるまで……彼はそれを思い出して、口の中で呟いた。
霧はじっさいはれかかっていた。ぼーっと日
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