洋服が凉しくていいけれど、寒くなると、日本服の方が温くていいと、みんな言いますよ。」
「だって、日本服は、働くのに不便ですもの。」
「仕事によりけりでしょう。」
「そう、仕事によってはね。わたし、立って働く仕事がいいか、坐って働く仕事がいいか、ずいぶん考えたけど……。」
「結局、どうなんです。」
「結局、わからなくなったわ。」
ふふふと彼女は笑ったが、急に真面目な調子になった。
「けれど、働く覚悟だけはきめています。何をしても、構いませんわね。」
「そりゃあ、構いませんとも。構わないけれど……。」
実行がなかなか困難なことは、彼にもだいたい推察された。そしてぼんやり、敏子のことを思い起した。
「人形の店はどうですか。」
微笑しながら、彼は、久恵と敏子の人形の話をした。
「敏子さんから、まだ何の相談もありませんか。」
「そんなこと、敏子さんばかりでなく、誰も本気にしやしないでしょう。だけど、人形の店というのは、ちょっといいわね。廊下みたいな狭いちっちゃな店で、人形をいっぱい飾り立てて……。」
「つまり、高級な履物店ですね。下駄や草履がずらりと並んでいる、あれをみな人形だとすれば……。靴店に見立てたっていい。」
「まあ、失礼ね。それより、袋物の店か、画廊……。」
「鞄の店は、どうです。しかし、この鞄、小さいくせにずいぶん重いなあ。なにがはってる[#「はってる」はママ]んです。」
「貴重品ばかり。」と千代乃は笑った。
散歩のようなぶらぶら歩きだった。西空は靄深くて、夕陽が赤い盆のように見えた。堤防の斜面には、雑草の小さな花が点々と咲いていた。人けの見えない大きな船が、河の真中を滑るように下っていった。
堤防が低くなり、樹木の茂った丘の麓道となり、河沿いに大きく迂回すると、すぐそこに、目指す家が、ひっそりと静まり返っていた。
田舎娘らしい女中が出て来、次にお上さんらしいひとが出て来て、二人は二階の奥に通された。簡素に出来てる室で、床の間の山水の軸物の前に、菊の花が活けてあった。
腰高の壁の硝子戸を開くと、道を距てて、びっくりするほど近く眼の下に、河が流れていた。河幅は広く、その先も河床の広い草地で、向うに高い堤防があった。夕陽はもう靄に隠れたらしかったが、河の面にはまだちらちら光りが浮いていた。
大雨で水が出たら、この家、どうするのだろう。そのような思いがす
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